不幸でもいい。愛があれば。

いわゆる“不幸”でもいい。 自分を愛することができれば、人生は上出来だ。 


誰か他のひと(親、恋人、配偶者、子ども、友だち、ファン、愛読者、教え子、ビジネスパートナー、世間のひと)が、あなたが素敵で、素晴らしいと言ってくれたとしたら、それはそれでファンタスティックなことだ。でも、あなた自身が(どのような状況下でも)そう思っていなければ、それはシャボン玉のようなもの。綺麗でも、一瞬ではかなく消えてしまうんだよ。


自分を愛するとは、自分に甘いという意味でも、勘違いに基づいたナルシズムでも、したいことは何をしてもいい!というような自分勝手でもない。 自分は愛されるに値する大切な存在だと知り、自分のことを“威厳”を持った存在として尊重すること。


あぁ、わかっている。今日わたしがしている話は、概念ばかりで、ややこしい。 もっとわかりやすく言おう.。あなたがキリスト教徒だったら目の前にイエス・キリストがいる。仏教徒だったらガウタマ・シッダルータが、レベルが急変して申し訳ないが、わたしのティーンエイジャーの継子のようにジャニーズファンなら“関ジャニのなんとか君”が目の前にいる、という状況。だとしたら、あなたは、その人をどのように扱うだろうか? 抱きつく人もいれば、感涙する人もいるだろう。どのような人も、落ち着いたら最大の“もてなし”をしようとするだろう。決して“ぞんざい”に扱ったり、“意地悪”をしたり、あるいはやけっぱちになって壊滅的なことをしようとする人は、いないはずだ。“自分はさておき”最大の敬意を払うだろう。 そう、それが、自分に対して取るべき態度なのだ。


 “自分はさておき”の“自分”は実はいくつかのレベルがあると思っている。簡単な方からいうと、“世間から見た自分”だ。世間から見た自分がどうであるなんて、どうでもいい。ホームレスでも、シングルマザーでも、無職で生活保護を受けていても。


わたしの話で申し訳ないが、世間から見たわたしは自他共に認めるかなり変わった人だ。26歳で一流外資系のトレーダーを惜しまれながら(自分で言うな!)辞めて自分で仕事をしだした。だからと言って世界に打って出る企業を作ったわけでなく、好きなことを探索しながらやってきただけ。その間に稼いだ金額はおおよそ4億円、普通からすると多いかもしれないが、まるで残っていないのがわたしの特徴。(今後はもっと賢く生きようと思う。) 


個人的にはバツイチ、その後8年の同棲、そして40歳で二人の子持ちとの再婚で45歳での初出産。連れ子再婚は、母親が子連れの方がうまくいく。うちは反対だから、わたしだけでなく、祖父母や子どもも含めて、家族全員が大変だった。そんな中で、この10年ほどやってきた。


人生の後半には、色々な“しわ寄せ”がくる。健康だったり、仕事やお金だったり、愛情関係だったり。親友はガンになって放射線治療をしている。別な親友はあと5年で退職であることを憂鬱に思っている。他の友人は子供の進学や暮らしで心配しながら役務をこなしている。余裕をかまして著者として有名な知り合いもいるけど、本当は配偶者が病気だったり不幸だったりしているのも知っている。


わたしも例外ではない。けれど、わたしは“変わっている。”だから、そこで“沈まない。”沈まない前提なのではなく、沈まないと決めているだけだ。希望と決意。これがないと、うまくいくものも、いかない。もう一度言うよ。「希望と決意」これが、明日を作るんだ。


今、わたしは、正直、いろいろあって、心細い。 過去に4億円作ったことがあっても、2回結婚しても、45歳で自然妊娠・初産を果たしていても、心細い。二ヶ月ブログを書けなかった。 


よく考えて欲しい。心細くない人間なんて、誰ひとり、いないんだ。自分はそうでもないと思っているとしたら、ただ抑圧して感じないようにしている(意識的に知らない)だけか、本当にあがった(悟った)のか、のどちらかだ。


「わたしは、愛されている。」 

「わたしは、あなたを(どんなことがあっても)愛している。」


そんなことを知りたくて、みんな生きているのだ。 


 わたしは、愛になりたい。 


いわゆる“不幸”でもいい。 自分を愛することができれば、あなたも、わたしも「愛」なのだ。 


 今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

「自分が孤独だ」というのは、幻想。みんな、この世に生を受けたものなら、同じだから。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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