浄化の雨と、パスタの湯気

“大泣きする”のにふさわしい、寒々とした雨が降り続いている。


全体的には、充分良い人生・幸せな人生なのだけど、大きな“涙の海”が、ここら辺(喉や胸のあたり)にある、と感じることはないだろうか。わたしは、よくある。そして、こんな雨の日には、その“涙の海”が雨に誘われて、流れ出て来そうになる。


コーチングスクールをやっていた頃から、人が普段の生活では軽々しく言わない・触れないことを知る機会が圧倒的に多かった。わたしが出会った人たちが特段変わった人でも、病んでいる人でもない一般的な社会人であることを考えると、それは社会の平均値と言えるはず。


親の離婚、暴力、事業での失敗といったものや、配偶者の不貞や多重債務などは、結構よくある。さらに、肉親に自殺者がいる、子供を失った、 過去にされた性的暴行がトラウマになっている、信頼していた従業員に大金を盗み取られた、不治の病に冒されていていつどうなるかもわからない、などという話も聞く。ひとはそうした経験があるということを基本的には話さない。プラカードでもぶら下げていない限り、あなたの隣の人が実はそうだった、ということを知ることはない。だから、みんな「そういう(不幸な)思いをしているのは、自分だけだ・・・」と思ってしまう。


「どうして、わたしだけ・・・」「どうして、わたしは・・・」そういう言葉を心の中でつぶやいていたとしたら、その背景にはこんな想いがある。「自分だけが不幸」


「自分だけが不幸。」

これは間違いなく、幻想だ。 あなたが思っている“自分の不幸度”と同じくらいの不幸は、それと全く同じ種類かどうかは別として、おそらく大多数の人に訪れている。だから、そこで、不必要に孤独や特別感に浸らないでほしい。それって、思いっきり、滑稽なほど、思い込みだから。


さて、そんな日には何をするか? キッチンに立つと、外の林の大雨が見える。ジャズを聴きながら、一人でキッチンに立つんだ。


湯気の上がるテイスティーなパスタを作る。 もっと寒々しい秋の日であれば、野菜たっぷりのミネストローネを。


大鍋にたっぷりのお湯がグツグツと湧いて、鍋の蓋を取ると“ふわぁ〜”っと湯気が上がり、それだけで気分が暖かくなる。塩をふんだんに入れてからパスタをぐるりと回し入れて、くっつかないようにトングで何度かクルクル回す。


その横のフライパンでは、黄金色か渋緑色のオリーブオイルを熱する。細かく刻んだガーリックを入れて炒めている間に、パンチェッタ(ベーコンでも充分)を切り、ガーリックが薄くキツネ色になったらそれを入れる。程なく香ばしい香りが立ってきたら、好みの野菜やシーフード(イカや、たこ、フレッシュがない場合は冷凍のシーフードミックスでもいい)を入れる。 パスタの茹で汁を若干フライパンに移す。そして、麺もフライパンにトングで移す。この時、わたしは無駄に汚れるという理由から、ザルを使わない。どこか手抜き。それが、家料理だ。


さあ、一人であったとしても、キッチンカウンターにはちゃんとスプーンとフォークを並べ、お気に入りの食器に出来上がったばかりのパスタをこんもりと盛り付けると、一気に幸せ感が増す。


仕事がない日は、グラスで赤ワインを飲むこともある。今日は、水をトールグラスに入れて、薫り立つアールグレイと供に。


この瞬間がたまらない! 手を合わせて、独り言「いただきます」を唱えたら、あとは、食べ終わるまでは、何も考えない。(お茶漬けの宣伝で、男性がハフハフ言いながら食べるCMってあるけど、あの感じはすごく良くわかるよね。エレガントとは、無縁かもしれないけれど・・・)。


食べ終わる頃には、胸や喉のあたりにあった“涙の海”が、小さな池程度になったようだ。


「浄化の雨」って言葉を、スピリチュアルなど知らなかった頃、ある方から聞いて、へぇって、思ったものだった。小降りになった雨を見上げながら、今、「我が身の不幸」や「涙の海」を胸のあたりに感じている、名も知らぬ多くの人たちのことを考えている。


「あなただけじゃないから。そして、これは浄化だから。」 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。

一人で泣くも、暖かくして映画を見るも、よし。今日は、日本全国「浄化の雨」ってことで。    

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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