「活用」する

やっぱり、そういうことなんだよね・・・と、妙に納得した。「活用する」ということなんだ。


先日、二日連続で”違う話”なんだけれど、”同じメッセージ”を聞きました。そしてわたしは、それを結構真摯に受け取ったようです。というのも、その共通点、つまり「活用する」ことの重要性を、自分なりにこうして書いているからです。 目的語無しで「活用する」とだけ書いたのは「なんでも」だから。要は、つまり、なんでも活用することが、ポイント、ということ。 


まず、一日目に聞いたのは、わたしの仕事の相棒から。このところ仕事でもプライベートでも成長株、まさに大ブレイクしている彼が、こう言うのです。「今ある状況を、全て使って、使い倒すくらい、使うんです。どんな状況、どんな相手、でも」と。彼は多くの経営者を導き、トレーニングする仕事をしています。そんな彼は、今や、どのような機会も「目指した結果」を得るように進んでいます。こう言うと、“イケイケどんどん”的なものに聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。彼は感情や思考のシステムをよく理解し、自分に起こっている出来事を総括的に見て、その結果、自分とも他者とも効果的に関わっています。「使い倒すくらい、使う」という表現は強烈かもしれませんが、これは効果効能を優先した視点の表現で、「相手にとっても、自分にとっても非常によく=ハッピーに機能する」ことと同様のことのようです。だとしたら、とても良好な観点だと思うのです。


二日目は、今ではすっかり友達づきあいをしていますが、元々はひとづてに紹介をいただき、わたしがセッションを受けたことから始まったご縁の方からのお話でした。この方は、政治家から芸能界まで、多くの方を指南される立場にある方ですが、彼女が言うには、わたしは「堀を固めるのがもっと上手くなる必要がある」と言うのです。そうすればするほど、わたしのやりたいことが、簡単にやれるようになるのだから、と。以下、彼女の弁。「わたし自身は、仕事の成果を夫に褒めて欲しいと願っているんです。他の誰にも褒められることは全く期待していないのですが、一番わたしに近い人物である彼にだけは、褒めて欲しい、と。けれども、彼は、どんなことがあっても、けっしてわたしを褒めないんです。それどころか、いつもけなされるんですよ。そうするとですね、わたしは“なにくそ”と、また頑張るわけです。わたしは褒められると満足してしまって、頑張らなくなるタイプなんですよ。だから、夫がわたしを褒めないのは、“願ったり叶ったり”なんです。わかります?わたしは、わたしを動かす道具として、その機会(夫がホメるどころか、けなす)を使って、ガンバれるんです。」


彼女は、褒めて欲しいという自分の“システム”に対して、決して褒めてくれない旦那さんを「活用」して、ご自身の仕事で常に満足せず成果を上げ続けている、というのです。働く時間も自由で、実働の時間は少なく、ほとんど準備も何もなく7桁の月収ですから、ご主人の褒めない功績は大きいと言わざるを得ません。


この二人と連続して話す機会を得たわたしは、「(どんな状況でも、なにがあってもなくても)なんでも“自分のためになるように”活用していくといいのだ」ということを確信しました。“自分のため”というのは、自分が利益を得たり、気持ちよくなるために、誰かを蹴落としたり、誰かを不幸にすることではなく、その反対で、誰にも迷惑をかけず、場合によっては、相手は全くそのままか、あるいは相手もすっかりいい気分になる、ということです。おそらく、本当の意味で“自分のためになる”という状況を作ったり、人に対応するのは、周りにとってもためになることがほとんどだったりするのではないでしょうか。


褒めてくれない夫を躍起になって褒めてもらおうとあの手この手でアプローチしたり、褒めない夫を変えさせようとしたり、「褒めないのは悪いことなんだよ!」と説教したり、ということをしない。そして、相手がこちらの望んだ通りの反応をしてくれない時に、放っておいたら湧き上がる自分の反応を「自分の得になるように変える」ということを本気でしてみる、など。


言うは易し、行うは難し。と言うことは知っていますが、できるかできないか、と言われると、できることだから、やっている人がいるわけです。 結局、自分のありたい姿になるために、周りの状況を「活用」出来れば、自由に、そして、早く確実に自己実現をしていくはずです。あたり前の話かもしれませんが、それがなかなか、できないんですよね。どうしてでしょう?きっと、自分の感じていることを、真(ま)に受けすぎなのかもしれません。感じることは、「人間のシステム上の作用」と思えばいいのに、そのシステムに乗っ取られているようなところが、わたし達人間には、あるのかもしれないですね。 車に乗っているうちに、どちらが主人でどちらが乗り物だったのか忘れることがあるように。


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

そういえば、服を着る、と、服に着られる、という表現がありましたね。

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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