秘湯の秘め事 その2

一昨日から、静寂の中でひとり考えをまとめるためにやってきた、群馬県と長野県の県境の秘湯の宿に泊まっている。なにせ、創業明治17年の当時の建物を増築しながら使っているとのことで、その姿は超年代物。 森村誠一が『人間の証明』の中で「この世から完全に切りはなされたようなひなびた雰囲気は、申し分ない」と40年前近くに書いた、そのままだ。


今日は新館(といってもおそらく昭和50年代くらいに建てられたと思われる)で、独立した部屋(つまり、ドアに鍵が一応かかる感じ)だったけれど、昨日は満室で明治時代に建てられた母屋の旧館に滞在した。みなさんが、ドタバタ、または、パタパタ、食事時は各部屋に持っていく料理のカートの往来で、とんでもなく賑やかになる廊下を、襖一枚、というか壁一面が全部襖で隔てられている(サザエさんでよく波平がカツオを説教する、縁側に接しているあの和室みたいな)部屋で一晩を過ごした。 


5月8日の夜9時から放映される嵐の相葉くんが出るドラマでは、この十分古めかしい旅館をさらに古めかしくするために大掛かりな大道具まで設えた、と旅館のおじさんから聞いたけど、一体これ以上何をしたらもっと古くなるというのだろう、ちっとも予想がつかない。勝海舟が泊まったっていうんだから、本当に歴史ものなんだけど。 


旧館のその部屋。明るいうちは、別になんてことないんだけれど、真夜中になるとちょっと怖くなった。豆電球の薄明かりの中、ジッと襖を見る。これくらいの館だから、幽霊ぐらい出るかもしれない、いや、幽霊なら近くに人も泊まっているから、私のところだけに来るってこともないんじゃないかな、幽霊よりも怖いのは、生きた人だよって、以前、除霊する人が言ってたのを聞いたけど、確かに。幽霊が人を殺すより、生きた人の方が圧倒的に確実に殺せるだろうしね。けど、誰かが部屋の前でピタッと止まったりしたら絶対恐ろしいだろうな、などちょっとだけ考えた。いやいや、大丈夫、大丈夫。そう独り言を言いながら、就寝したのが夜半前。 


かぼそい老婆の声で目がさめた。

どうしよう、わからなくなったわ。ああ、寒い、困ったわ。どうしよう。帰れない。」時計は2時半。丑満時(うしみつどき)ではないか! キャ〜〜。誰かが、独り言を言いながら歩いていて、その影が襖に映っている。布団の中で目が覚めたまま、ドキドキして身動きができない。眠気もぶっ飛んで、冷静に考えようと必死で頭を巡らせる。「幽霊じゃないな。スリッパの音がするもの。」同じような声を夕方にも確か、聞いたような・・・ 


そう思っていると、男の人が一人で泊まっている一番端の部屋の方から声が聞こえた。「ここかしら。」襖をノックした途端に、恐怖におののいた男性の声でキッパリと「違います!」という声が響いた。わかった、先ほどお風呂の帰りにフロントでおばあさんが部屋がわからなくなったと言って旅館の人が、なんか言っていたな、確か101号室だって。実在する徘徊のおばあさんとわかっても、見えないところで声がすると、どうしてこうも怖く思えるのだろう。自分の訳のわからない恐怖心を不思議に思いつつ、決意して、わたしは襖を開け、真っ暗な廊下に出た。 


「おばあさん、おばあさんの部屋はこっちだよ。」わたしが言うと、「あら、まぁ、すいませんねえ。」おばあさんがついてくる。なんだか変な展開だ。わたしが先導し、おばあさんを連れて新館に行った。101号室の蛍光灯は煌々としていた。おじいさんが寝ていたので、わたしが声をかけると、寝ぼけながら起きたが、寝ぼけている。一方、おばあさんは、快活な笑顔で、爽やかにありがとうと言った。はい、おやすみなさい。そう言って部屋に戻った。が、眠れない。端の部屋の男の人も同じ様子で、しばらくしたら風呂に入りに行く音がした。朝の3時半。仕方ない、わたしも朝風呂にしよう。 


風呂の後は、6時まで本を読み、朝食の準備をしている旅館の女の人(多分、若女将)に事情を話し、朝ごはんはわたしが起きた時にしてください、ちょっと横になっていたいので、と伝えた。あー、101の・・・すいません、と言っていたが、旅館の人のせいではない。 


無事2時間休んでスッキリした後、1時間ほど山歩きをして汗だくで帰ると、旅館の主であるおおばあちゃん(多分)が、わたしにずっと話をするので聞いた。 


あの101のおばあちゃんは毎年泊まりに来るの、いつもはお風呂の前の別館に泊まるんだけど、お風呂とトイレがわからなくていつもここに来るのでね、その度に私たちが連れて帰るんだけど、昨晩は明かりを消していたもんだから、わからなくなってお客さんのところに行ったのね、ごめんなさいね、でも、年々ね、ここ(頭を指差し)がホラ、で、今年は別館がいっぱいだったもんだから、新館にしたんだけど、混んでいるときはこうして他のお客さんの迷惑だから、やっぱりダメだねぇ。来年は断らなきゃいけないかしらね。でも、ご主人も大変よね、お客さんのこと言ったら悪びれもせず笑ってたたから、あらっ?って思ったけど、まぁ、そんな感じでいなきゃ、やっていられないのかもしれないね、わたしはさ、頭は問題ないんだけど、この通り足腰が。実は、うちの爺さんがこの間そこで転んで・・・ 」


ええ、ええ、って、聞いているわたし。なんだか、こういう場所では、すべての時間が止まっていて、何一つおかしいことには思えないから、不思議なものです。そして、そういうところでは、普段の自分の価値観や生活が、まるで存在しないかのように思えてくるので、いろいろなことがフラットに感じられたり、新たな発想が湧く。雄大な自然の中、山歩きをし、風呂に入り、ご飯を食べる。そうして、余計なものが振り落とされていくこの感じは、たまらない。多くの文人が、日常を離れて、こういう山にこもる理由は、そこにあるのだろう。


人生の扉を開けて出会ってくださり、ありがとうございます。 

心が洗われるためには、綺麗な部屋も、上等なサービスも要らない。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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